appleの歴史

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│appleと言えばスティーブ・ジョブズ


スティーブ・ジョブズは、エンジニアになることを目指してオレゴン州のリード大学に進学したものの半年間で中退。しかしその後1年に渡り、興味の有る授業に潜り込んでいたそうです。

音楽好きでビートルズなどの影響も有り、スティーブはインド旅行したいと考えていたので、旅費を得る為にアタリ社で下級エンジニアとして働きだしました。

インドに早く行きたかった彼は、技術部長のアラン・アルコーンにインド旅行の費用の援助を頼み、ドイツでのゲーム機の修理の業務を命ぜられ、ドイツ経由でインドに行く事で旅費を易く出来た様です。

一旦アタリを退職しインドに渡ったものの、散々な目に合い半年程度で帰国し、その後アタリに復帰しています。



│もう一人のスティーブ


スティーブ・ジョブスは多くの人が知っていますが、創設者にはもう一人、設立当初のヒット製品を作り上げたもう一人のスティーブ=スティーブ・ウォズニアックの技術力が成功の鍵となっていて、高い技術力はウォズの魔法使いとも呼ばれています。

ヒューレットパッカードに勤めていたウォズニアックは自分で開発したボードコンピュータをホームブリュー・コンピュータ・クラブで発表し称賛を浴び、その後ヒューレットパッカードで製品化を目論むも失敗、アタリのノーラン・ブッシュネルに持ち込んだものの、同じ様にその価値は認められませんでした。

│Apple Computer Co. 時代


ウォズニアックは、ボードコンピュータをジョブズと販売する事を決意。

Apple Computer Iとネーミングされたボードコンピュータは、ガレージで製造をはじめ$8,000の利益を手にし、その資金を基に事業拡大の資金集めを行うことになります。




出資者を捜しているうちに、インテルの社員であったマイク・マークラに出会い、そして認められ、インテルのストックオプションで資産を持っていたマークラ個人から資金提供を受け、3人で会社をはじめる事になりました。


│現在のPCの原型となったAppleⅡ の誕生


スティーブ・ウォズニアックが、ほぼ独力で開発したとされ、ディスプレー表示のカラー化、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダを搭載した、現在のPCの原型となるApple IIが発売されました。

Apple IIは拡張スロットを搭載した事で、サードパーティも巻き込んで、高い拡張性を実現したこともありヒット商品となり、1980年には10万台、1984年には200万台を販売を記録。

わずか4年間で、売上高は2億円から300億円へ、社員も4人から3400人へと急成長し、株式公開を果たす企業へと成長を遂げました。

しかし、何時迄も順風満帆とは行かず、IBMのPC市場への参入が開始されると、appleの市場が奪われて行きました。そうした中IBMにより現在のPCの基本設計が完成しました。

低迷する業績の中スティーブ ウォズニアクはアップル社を去って行きました。


│AppleⅡの後継機開発


AppleⅡの後継機の開発としてLisa(リサ)プロジェクトが立ち上げられましたが、ジョブズはゼロックスの研究所で見たOSをこのLisa(リサ)で実現しようと奮闘しましたが、独断が仇となり、このプロジェクトから外されてしまいます。



代わりに誰にでも簡単に使えるノートの様なPCを目指していた、当初は小さなプロジェクトであったMacintosh(マッキントッシュ)プロジェクトに関わる事になりました。


│Macintoshの登場


開発チームのジェフ・ラスキン自分が好きな林檎の品種名から着想し、製品のアイデアを話したことに始まります。





ジョブズはフロッピーディスクのドライブに搭載されているイジェクトボタンは美しくないと、オートイジェクトを採用したり、基盤の見た目も美しくないと駄目だと何度も設計し直したり、この時から美しさへの拘りが顕在化している様です。

ソフトを担当してたジェフ・ラスキンの文字ベースのOSも、ジョブズのLisa OSに続くとの主張から意見が合わずAppleを去る事となります。ジョブズの拘りから開発は難航し、Macintoshの登場までには3年を要する事となりました。

OSはLisa OSに続く設計となり、画面は白黒ベースで基本的にシングルタスクの OS ですが、ファイルシステムやアイコンなど、Lisa OSを含め現在のPCに使われるOSの原型となります。


今では広告などでもMacintoshとは表記されずMacと名称づけられていますが、現在のMacでもデスクトップ>>このMacについて>詳細情報>サポートを選択すると開いたウインドウにはMacintoshと表記されています。





│スティーブ・ジョブズがAppleを去る


一方経営の健全化の為の起死回生の打開策として、マーケティングに長けたペプシコ社副社長ジョン スカーリーを迎えました。しかし、後にジョブズとの間には確執が生まれ、ジョブズがアップルを去る事へとつながります。


│NeXT設立


appleを退社後にジョブズは高等教育のためのコンピュータの構想で、NeXTを設立しました。ジョブズはNeXTと平行し、ルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を買収しピクサーのCEOに就任。後にディズニーに買収されるもディズニーの役員として迎えられた。
一方NeXTの方は価格が高かった為業績が振るわず、ハード部門などを売却。



│appleの復活


ソフトウェアは次期OSの開発に迫られていたappleに買収される事になり、社外相談役としてジョブズは再びAppleに関わる事となります。

その後、様々な改革を実行し経営の健全化を図ると共に、PowerBook G3を発売し美しいと評価され、翌年にはスケルトンボディのiMacが販売されヒット商品となり、2000年にappleのCEOとして復帰し、その後2001年にMac OS Xを発売し、新たなPCのスタンダードを送り出します。

同年に iPod、2007年 iPhone、2010年 iPadを発売しています。

現在のApple製品については多くの人の知る所です。








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